freedomtenchoのポケモンGOブログ。

自転車のことは書かない。

1月19日(金)、明日に架ける橋。

昨日レーシングチームの監督と主将がフリーダムに来た時、来季のメンバーを聞いた。

基本的に私はレーシングチームにはノータッチだ。誰がどのクラスで走るかはよく把握していないし、メンバーのブログも読まないようにしている。

理由は3つあって、1つは私自身がサイクルフリーダムレーシングではないこと。もうひとつは現在のメンバーでしっかりと維持運営していって欲しいと思っていること。それからサイクルフリーダムにとって私自身が特殊な存在なので、その影響をなるべく抑えたいこと。

 

「来季のメンバーは何人?」

 

「20人です」

「タケイ、ササキ、アカミネの3名が加入、オニヅカ、ナカジマ、カザマの3名が抜けます」

 

とのことだった。

 

 

カザマが抜ける...それは私にとって特別なことだ。

なぜならフリーダムレーシングとは、私とカザマから始まったようなものだからだ。

 

サノチヒロやサトウヒデさんがフリーダムに加入したのも、4人でイエロージャージを獲りにいったのも、その後みんなバラバラのチームでJPTを戦うことになったのも、今も皆んなフリーダムに来てくれることも、その始まりの近いところにカザマがいる。

 

しかしそのカザマが辞めることを、私は止めない。

やりたければやればいい。やりたくなければやらなければいい。それ以上でもそれ以下でもないのは、カザマとて例外ではない。

 

 

私の好きな歌に、『明日に架ける橋』という歌がある。

小学生の時に親の影響で出会い、今でも整備中のBGMとして1日中流れていることも珍しくない。出会ってから20年以上経つが未だに歌詞の意味を考え続けている、私の一生で唯一無二の歌だ。

 

この歌は友情とも愛情ともとれる、最愛の人を支えてあげる決意をうたった歌だ。

題名である『bridge over troubled water』にあるtroubled waterとは直接的には津波や荒波を意味し、困難なことの象徴として使われている。歌詞にでてくるsailingという単語は常用単語ではなく、ヨットなどの小さい船で大海を航海するという細い意味だ。

歌名である『bridge over troubled water』を意訳すると、困難に架かる橋、となる。

歌全体において人生の困難を荒波と比喩し、小さな船で乗り越えようとする最愛の人を私は支えよう、という歌だ。

 

 

誰かが誰かを支えようとした時、単純に一緒になって歩いていこう、と思うのが普通じゃないかと思う。

でも『明日に架ける橋』は違う。

 

i will ray me down

僕はこの身を横たえよう、

like a bridge over troubled water

困難の上に架かる橋のように...

 

i'm sailing right bihind

後ろからついていってあげるよ、

like a bridge over troubled water

困難の上に架かる橋のように...

i will ray me down

僕はこの身を横たえて。


自分が困難に架かる橋となって最愛の人を支えたいと思った時、横に寄り添って歩くのではなく、下から支えたり後ろから支えたりしているのは、あくまで周囲の助けとは補助でしかないということの裏返しなんだ。

 

 

小学生の頃はこの意味がわからなかったが、高校生の頃あたりから、この真理がわかるようになってきた。

 

困難に立ち向かうのは、その人自身であること。

誰しもが同じ立場、同じ境遇にあるわけではなく、全てを理解して一緒に歩いていくわけにはいかない。

どんなに近くにいても、困難を乗り越えるのはあくまでその人自身であり、本人に乗り越えてもらうしかないのだ。

この身を横たえ、後ろから支えてあげることは出来るかもしれないが、最後は自力で渡ってもらうしかない。

 

困難が立ちふさがった時は僕が橋となって支えてあげるから、どうにか頑張って乗り越えてね。

私の『明日に架ける橋』は、そういうふうに理解されている。

 

 

高校2年生の卒業式の時、私は在校生代表の送辞を読む役を任され、明日に架ける橋をモチーフにしてスピーチした。

当時付き合っていた3年生の先輩が卒業して社会に出ていこうとしていたから、この歌を模して。疲れた時には母校を拠り所とし、橋を港に変えて、世間の荒波の中で頑張って来てくださいと話した。

 

振り返るとずいぶん生意気で気恥ずかしい話だが、あれから14年経った自分の本質はそれほど変わっていない。

今となってはフリーダムに在り、チームメイトやお客さん達が自転車活動を頑張りたいと思った時、私やサイクルフリーダムは支えてあげたいと思うだろう。

しかし頑張るか頑張らないか、最後は本人次第なのだ。

私から、一緒にやろうよ!と誘うのではなく、あくまで自分から自発的にやれというスタンスが確立されたのは、およそ高校生の頃からだ。

 

誰かを支えることの本質に気づいて以来、私は今まで自転車に限らず、何かを一緒にやろうぜ!という誘い方はしてこなかった。もちろん意図的にしないようにしているからだし、これからもきっとしないだろう。

 

フリーダムで自転車がしたい。

 

誰かにそうやって言われた時に、一緒に頑張ってあげられるように準備しておけばよい。

 

 

【明日に架ける橋の本文と意訳 (第1連のみ) 】

when you're weary, feeling small,

君が疲れてしまって、ちっぽけで惨めな気持ちになって、

when tears are in your eyes, i will dry them all.

涙が君の目に溢れてきたときは、私が乾かしてあげよう。

i'm on your side.

私は君の味方。

when times get rough

時間ばかりが無情に過ぎて、

and friends just can't be found,

あたりに頼る人が見当たらなかったとしても。

like a bridge over troubled water, i will lay me down.

私は荒波に架かる橋のように、君のためにこの身を横たえよう。

like a bridge over troubled water, i will lay me down.

(この身を差し出し橋となるから、君はその上を渡っていってくれ)