12月28日(木)、ダム復旧。
思えば火曜日の夜から変だった。
思えば水曜のサイクリングからおかしかった。どんなに寒かったとはいえ外出時間が8時間だったとはいえ、たった140kmのサイクリングで受ける疲労度ではなかった。
木曜の昼間には仕事にならないくらい頭がボーッとし、夕方にはお店を閉める決断をした。夜は38.9度。金曜日の39.7℃をピークに、病院でインフルエンザの診断を受けた。
病院には自転車で行った。
来年の実業団はイナーメで走ります。
3月の宇都宮クリテが終わった直後にVCfukuokaとフリーダムが別れた後、私個人はけじめをつけるつもりでE1に戻った。
モチベーションが維持できずに、ロクにレースも練習もしないまま今シーズンは終わってしまう、とてもヒドい1年だった。
イナーメ加入のきっかけは、6月の日本選手権でイナーメ陣と行動を共にしたこと。8月くらいには話がまとまっていたが、発表はしないでいた。
12月23日(土)は私用とだけして臨時休業にしていたのは、イナーメのチーム撮影会。すごく楽しみにしていた。
結局はインフルエンザには行けなかったが、水曜日に発症した風邪(だと思っていたもの)は土曜日には収まってくれるんじゃないかと、直前まで参加を諦めないでいた。
イナーメ合宿を諦めたのは病院の中、インフルエンザの告知を受けた金曜日の午前中だった。
薬が効いたのか日曜日には熱は下がりきり、若干の頭痛は残っているものの、おおよそ回復した。
人生で最もゆっくり出来る時間は病気の時だと痛感して、ダメ人間を謳歌した。
隔離部屋で寝ていると、隣の部屋から詩織が立ったという奥さんの歓声が聞こえてきた。11か月と少し。感動の瞬間は見ることが出来なかった。
水曜日から仕事開始。
日曜日に納車する予定だったバイクはすべて年末にズラしてもらい、28~30日にお店を開けることにした。
本来なら家族旅行に行こうと思っていたところだが、開けるべき時に閉めた結果、閉めたいときに開けざるを得なくなった。
どうしてこのタイミングなのだろうと、ずっと恨んでいた。
このインフルエンザがあと1週間前後していれば、イナーメ合宿にも行けただろうし、変に納車をズラす労力も要らなかったし、年末の旅行だって行けただろう。
そういう点では行動予定をことごとく壊滅させた、最悪中の最悪のタイミングでのインフルだった。
木金土日月でするべき仕事を、水木で賄う。
仕事は昼13時から朝5時まで続いた。なにせ週末で、月末で、年末である。そこに5日間の休日明けとくれば、まともな仕事になるはずがない。
12月は奥さんの入院が2週間と私のインフルエンザ1週間によって、仕事のやり方を忘れてしまった気さえする。
この3日間を乗り切れば、縮んだ正月が待っている。